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太田光代の生い立ちが壮絶!父親は2人!実父はイケメンで母親との確執が凄い

芸能人

爆笑問題・太田光さんの妻(嫁)であり芸能事務所タイタンの社長でもある太田光代さん。

Twitterや自叙伝で壮絶な生い立ちが語られていることはご存じでしょうか。

太田光代さんの父親は実の父親と育ての父親と2人いて、実父は一度会ったことがあるようでイケメンとのこと。

母親との確執が凄いことでも有名ですがそれでもご自宅で面倒を見られています。

今回は太田光代さんの壮絶な生い立ちや父親母親との関係について調べてみました!

太田光代の生い立ちが壮絶!

太田光代さんの生い立ちは、ご本人の自叙伝やTwitterで語られています。

3歳まで病院暮らし

太田光代さんは下半身に病気をもっていて、物心ついた時から病院で暮らしていたんです。

ギプスをはめている2歳の太田光代さん

太田光代さんは幼少期に「先天性股関節脱臼」という病気で3歳まで当時渋谷にあった国立小児病院で入院生活をおくっていました。

先天性股関節脱臼:骨盤側のくぼみに大腿骨側の半球形部分(大腿骨頭)がはまり込まず、股関節が先天的に適合していない病気
出典:東京大学整形外科学教室

3歳からの記憶は家や両親ではなく、病院の先生や看護師だったと言います。

3歳で退院をした時、病院を実家だと思っていて「おうちに帰る!」と一週間泣き続けた。

自叙伝:私が「にんぎょひめ」だったころより

私も幼少期にずっと入院していたので、病院が家のようになる感覚は分かります。幼い時ならなおさらですね。

入院中も同じ病棟にいた子どもたちにいじめを受けていたといい、こんな幼い時から「病気といじめ」のある大変な生活をおくっていたんですね。

17歳で家を出て一人暮らし!

太田光代さんは高校2年生の17歳で家を出て一人暮らしをしています。

後述しますが、母親との確執があり早く自立をしようと考えたようですね。

親からの資金援助もなく、学費と生活費の両方を稼いでいたんです。

当時太田光代さんは喫茶店で時給380円でアルバイトをしていたと言います。

平日は夕方4時から9時の5時間、土日は朝10時から夜9時まで11時間というバイトスケジュールを毎日こなす生活。

食事は

✅毎食100円くらいのカップ麺
✅朝ごはんなし

太田光代さんが痩せているのもこんな過酷な食生活が影響してるのかもしれませんね・・!

栄養状態も悪く授業中はずっと寝ていて進級もギリギリだったと言います。

太田光代の父親は2人!

太田光代さんには父親が2人いらっしゃいます。

✅実の父親
✅育ての父親

太田光代さんは実の父親には一度会ったことがあるようで、とてもお顔が太田光代さんとそっくりだったそう!

太田光代さんは育ての父親のことはとても尊敬をしており、生きる上での様々なことを学ばれたといいます。

それぞれ見ていきましょう!

実の父親

太田光代さんの実の父親は

1938年頃の生まれで、太田光代さんの母親より11歳か12歳年下の男性です

母親より一回り年下だったんですね!

太田光代さんの母親が現在96歳で太田光代さんが58歳。

計算すると実の父親が26歳の時に太田光代さんが生まれているんですね!

しかし太田光代さんの実の父親と母親は結婚していなかったので、母親が未婚のまま太田光代さんは生まれています。

太田光代さんが二十歳のころ、実の父親に会いに行ったと自叙伝で語っています。

あまりにも自分と姿、形がそっくりで驚いた。

出典:私がにんぎょひめだったころ

母親は太田光代さんが生まれてすぐ実の父親と離れたので太田光代さんには実の父親と過ごした経験はありません。

太田光代さんから見て実の父親はとてもイケメンだったそうで、他人であればプロポーズしていたかもというくらい!

少しでも再会できたのなら本当に良かったと思います。

育ての父親

育ての父親をとても尊敬しているという太田光代さん。

育ての父親の名前は「鉄三さん」と言います。

Twitter

育ての父親・鉄三さんは茨城県下館市出身で、ビートたけし似ているとか!

ビートたけしさんは結構優しい印象なので、育ての父親・鉄三さんも見た目は穏やかで優しい方だったのでしょうね。

太田光代さんのツイート
Twitter

育ての父親・鉄三さんは理論的な方だったようで、小学生の時にいたずらをして母親ともめた太田光代さんに

嘘はいけないよ。嘘をついたら他の誰かが犠牲になるんだよ

と諭したというエピソードがあります。

この経験をはっきり覚えている太田光代さん。

現在社長として活躍している太田光代さんを作り上げたのは、育ての父・鉄三さんの教えがあってこそなのかもしれませんね。

太田光代の母親との確執が凄い!

太田光代さんのツイート
Twitter

「実母を嫌いになった」とはっきりと答える太田光代さん。

ここまで言い切れるというのは結構壮絶な確執が太田光代さんと母親との間にあると分かります。

母親と育ての父との再婚

太田光代さんの母親は、太田光代さんが6歳の頃育ての父親と結婚をしています。

当時母親が大好きで、6歳だった太田光代さんはこの結婚に猛反対したと言います。

6歳の女の子の微妙な年ごろこのへんてこりんな感性によって、結婚に猛反対した。一生母を守れると思ったから。

出典:私が「にんぎょひめ」だったころ

結婚式の後は母親と育ての父親は、太田光代さんを親戚の家に預けて新婚旅行へ出かけています。

ここから親離れは始まった。
母親にはことごとく反発。父親となった人には無視していた。

母親を取られたと幼い心に思ったのでしょう。置いて行かれたのも仕方ないのかもしれませんが、結婚に猛反対していればかなり悲しくなりますよね。

信仰の問題

太田光代さんは母親がとある信仰をもっていて、ご自身も生まれたときから入信させられていたとTwitterで明らかにしています。

Twitter

これも私は身内で経験があるのですが、かなりやっかいで根深いです。

日常生活も信仰具合でかなり変わってきてしまうんですよね。

誰が悪いとかでもないのですが、犠牲になるのはやはり身近な家族なんですよね。

太田光代さんは幸い育ての父親・鉄三さんが助けてくれたとのことですが、母親との確執は無くならない理由も分かりますね。

まとめ

今回は太田光代の生い立ちが壮絶!父親は2人!実父はイケメンで母親との確執が凄いについてご紹介しました。

幼少期から壮絶な経験をしながら、それでもたくましい精神力でここまでやってきたんですね。

母親とは同居して面倒をみているということなので、少しでも穏やかにお互い過ごせると良いですよね。

ここまでお読みいただきありがとうございました。